3・11から続く道 – 原発事故を通じて実感した陽光を浴び、 土に触れ、四季の移ろいを味わうことの大切さ

    福島の今とエネルギーの未来

    ー3 児の母(福島から避難し、帰還)

     震災当時、3 歳と 6 か月になる 2 人の娘と夫 と福島で暮らしていました。 2011 年5月に新潟県湯沢町に3か月自主避難した後、山形県山形市で 4 年半暮らしました。 その間に長男を授かり、福島に帰還して5年になります。 

     震災当時、食料の買い出しなどで、外で行列に何回か並んだことがあります。3 歳の長女は 祖父に預けましたが、6 か月の次女はとても泣くので、抱っこひもで抱っこして並びました。 今はとても後悔しています。泣いても祖父に嫌な顔をされても、置いていけば良かったと。 

     私はあまり情報収集が得意ではなく、原発の爆発の後もテレビのいうことを信じていまし た。放射能は確かに心配なのだけれど、そんな酷いことになって欲しくないという願望がバイアスをかけたのだと思います。 

     本当は避難したくて、誰かに背中を押してほ しくて、新聞やテレビで “避難” の体験や情報 を食い入るように見ていました。でも、子育てを1人でやりきれる自信がなかった。自分のキャパシティを超えると精神的に不安定になると自覚していたので、それが怖かったのも理由の一つです。 

    3 月から 4 月にかけての 2 か月間は窓を開けず、必要な時以外は外にも出ず生活していまし た。外はとても良い気候でも、窓を開けられな い、風を感じられない、洗濯物を外に干せない、 外で遊べない、水も食べるものも信じられない、それはとてもとても苦しいことでした。

     4月の末にママ友に新潟県湯沢町の自主避難者の受入れのことを教えてもらい、避難を決めました。 

    避難先での生活 

    特に大変だったのは、子どもの体調不良です。 山形への引越し翌日に次女が高熱を出して、スマホで小児科を探した時と、長男が夕方怪我をして救急病院に連れていき帰ってきた夜に、次 女が胃腸炎で下痢・嘔吐を始めた時は辛くて泣きました。 

     でも、外で過ごせることがうれしくて、楽しかった思い出が多くて、大変な時は大変すぎて、あまり覚えていません。 

     避難先では、なるべく外で遊ぶ、自然と触れ合うことを大切にしていました。福島ではできなかった外遊びへの渇望があったのでしょう、 特に初めの年は極寒の公園で遊んでいるのは福島から来た家族ばかりなんてこともよくありました。 

     夫と会えるのは月に1~2回で、子どもと日常的に接する大人が私だけという事が子どもに与える影響が、とても不安でした。故郷を離れたことは「転勤族ならよくあることだから」と、ワンオペ育児(パートナーなしでのひとりでの育児)は「単身赴任の家庭ならそういうものだから」 と思い、避難生活を楽しむようにしていました。 今思えば、大変な自分を認めたら辛すぎるから、必死だった、頑張っていたんだなぁと思います。 

     行政やボランティアの方々などたくさんのサポートがあり、また夫や双方の両親が私の決断を認め支えてくれたことで、避難を続けること ができました。本当に感謝しています。 

    福島への帰還 

     震災から5年、育休が終わるタイミングで福島に帰還することを決めました。 長女の通学路の放射線量を測ってもらい、避ける場所を子どもと一緒に確認しました。 被ばくを防ぐため、食品の産地を気にし、風の強い日には洗濯物の外干しは避け、なるべく保養に出かけるなどを、特に初めのうちは心がけて生活しました。 

     次女と長男は、「青空保育たけのこ」という 保育園に入園しました。「たけのこ」はなるべく自然の中で過ごすため、隣県の米沢市に毎日 片道1時間通って自然の中で保育をしている保育園です。子どもたちが被ばくの心配なく目一 杯遊びこんで日々を過ごせていることは、福島 で日々神経をすり減らしていた私に安心感を与 えてくれました。 

     そこでは、自然と触れたい、身体に良いものを食べさせたい、無用な被ばくを避けたいとい う思いを共有できる保護者が多く在籍していま す。月に1度の保護者会は福島での生活の悩みを話したり、米沢で食材を調達したり、私も自然の中に身を置いて深呼吸できる場でした。そして今後ずっと繋がっていきたい大切な出会い がたくさんありました。 

     私は「たけのこ」の存在に救われていました が、福島では、放射能について同じ価値観を共有しざっくばらんに話ができる場所はほとんどありません。保養は、低線量被ばくから少しの 間離れられるだけでなく、離れられた安心感を与えてくれます。 

     FoE Japan 主催のぽかぽかプロジェクトは、 「静かにしなさいとは言わない」、「子どもに叱るのではなく伝える」をモットーに、誰をも認め合うとてもとても温かい保養です。保護者の夜の集まりでは、情報共有をしたり、日々の悩みや辛さを吐き出すことができ(でも無理強いは決してしなくて)、救いになっています。 

    自然に触れ合う保養の重要さ(福島ぽかぽかプロ ジェクトにて)

     震災で私は、風を感じ、陽光を浴び、土に触 れ、四季の移ろいを味わう、そんな自然とともにある事を、地面に根を張って生きていると感じている事を、とても大切に思っていると実感しました。けれども今、土に風に禍々しいものが含まれていないか先ずは一旦疑います。この 土地を自然を心の底から愛し信じることはでき ない。それがとても辛く苦しいです。 

     けれども、震災がなければ出会えなかった、 たくさんの人との出会いや差し伸べられた手には感謝してもしきれません。次は私がお返しをしなければ、そう思っています。 

    震災から 10 年を経て 

     長男が卒園し「たけのこ」を離れたこの1 年、子どもたちの外遊びは減り、私は安心して誰かと話す場を失いました。昨年ほど保養に出たかった年はありません。けれども、コロナ禍 で保養の機会が失われました。そして震災から10年を区切りに急速に風化が進んでしまうのではと危惧しています。放射性物質は目に見え ずとも存在しています。保養がこれからも続いてほしいと切に願います。 

     コロナ禍の中、経済を優先させるため、子ど もたちの学ぶ権利や遊びや友人とのかかわりから社会性を学ぶ機会はないがしろにされました。憤りと諦めと、でも失業して家庭が崩壊しては大変、持病のある家族が感染しては大変という思いがないまぜになります。 

     10 年前を思い出します。震災当時、自然に触れない五感を使わない子どもの心身の成長が心配だったように、今回の子どもへの影響が心配です。10 年前は福島の子どもたちへ沢山の手を差し伸べてもらえましたが、今回は地球上のほぼ全ての子どもたちが犠牲になっています。 

     大人たちは何を守り、何をすべきなのか、考え続けています。

    (『福島の今とエネルギーの未来2021』)

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