原発事故後の放射性物質の流れ

    福島の今とエネルギーの未来
    図  東電福島第一原発より放出された放射性ヨウ素の広がり(2011 年 3 月 24 日 15 時時点)
    出典:日本原子力研究開発機構「東日本における  I-131  の広域拡散と大気降下量」シミュレーション

    2011 年 3 月 11 日、東日本大震災およびそれに続く津波により東電福島第一原発はすべての電源を喪失。炉心を冷やす機能を失いました。翌 12 日 15 時 36 分、1 号機建屋が水素爆発、14 日 11 時 1 分には 3 号機建屋が爆発。3月 15 日には 2 号機の格納容器が破損、3 月 16日 6 時には 4 号機も水素爆発を起こしました。放射性物質を大量に含んだ放射性雲(プルーム)が広い範囲に流れました。プルームは飯舘村や伊達市、福島市、郡山市の上空を通過し、雨や雪により放射性物質が降下しました。

    各地の放射線量はこれにより急上昇しました。原発から 60km 離れた福島市では、最大で毎時 24 μ Sv(マイクロシーベルト)1 が観測されました。これは、福島原発事故後に新設された原子力規制委員会が策定した「原子力災害対策指針」で、「一週間以内に一時移転を実施」とされるレベル(毎時 20 μ Sv)を上回る数値です。図は放射性ヨウ素の広がりを示したものです。放射性ヨウ素は、体内に取り込まれると甲状腺に集まり、甲状腺がんを引き起こす恐れがあるとされていますが、半減期が 8 日と短く、比較的早くなくなります。一方、土に沈着したセシウム 137 は半減期が約 30 年と長く、長期にわたる汚染の原因となりました。


    1 シーベルト(Sv)とは放射線被ばくによる生物学的影響の大きさを表す単位。

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