保養の現場からみえてきたこと
    どう伝える? 原発事故後のこと

    福島の今とエネルギーの未来

    福島ぽかぽかプロジェクト
    矢野恵理子

    福島第一原発事故以後、様々な団体が、放射能汚染が少ない地域に一時的に子どもたちを受け入れる「保養」に取り組んできた。放射能汚染や被ばくの影響に不安を抱えて暮らす人たちの選択肢として、11 年経った今も「保養」のニーズは高い。

    原発事故後、放射能や健康影響の不安について率直に語り合うことができない空気があり、そのこと自体が父母たちの大きなストレスとなっていた。保養プログラムは、子どもたちに思いっきり野外で遊んでもらうことに加え、参加者がリラックスして、普段語れない不安や疑問について、他の親たちと語り合い、共有する場を提供してきた。原発事故は、それほど大きな心理的ダメージを多くの人々に負わせたのだ。

    2020 年から、新型コロナウイルス感染拡大を受け、全国の多くの保養団体のプログラムが、中止を余儀なくされた。

    FoE Japan のもとには、保養プロジェクト(福島ぽかぽかプロジェクト)を通してつながっている福島の父母から、コロナ禍における休校措置、学級閉鎖、外出自粛、マスク着用などを、原発事故直後の苦しさや不安と重ねあわせてしまう状況をうかがわせる声が多く寄せられた。また、子どもたちの運動不足や家族だけで過ごすことの閉塞感から、保養の必要性を訴える声が多く上がった。

    こうした声にこたえて、FoE Japan は、2020 年7 月より、感染対策をとりながら、少人数での保養を再開した。2020 年度は計11 回開催(のべ 192 名が参加)した。2021 年度は、参加者全員が PCR 検査を受けて、計 9 回(のべ 164名が参加)のプログラムを実施することができた。

    家庭で過ごす時間が増える中、兄弟げんかが以前より増え、友だちを必要としている子どもたちが保養にきて友だちを求めて仲良く過ごす姿がよく見られた。食事中、静かに食べる黙食が当たり前に習慣づいている姿に、子どもたちにとっての時間の長さを感じた。

    原発事故から 11 年が経ち、当時子どもだった若者が原発事故を語るイベントが開催され、子どもたちが発信する「復興」がメディアで取り上げられる。しかし、多くの子どもたちは、原発事故や放射能について、あまり多くを知らず、どう説明したらよいのか、どう伝えたらよいのか悩む親や私たちを含む関係者も多い。

    「ぽかぽかプロジェクト」では 2021 年 12 月に、避難者に対する相談や支援を行っている「避難の協同センター」との共催で、当時子どもだった若者、中高生とお母さん方の交流座談会「つながる福島」を開催した。

    避難した人、避難後帰還した人、そのままとどまっていた人、参加した親世代には、様々な経験があり、それぞれ乗り越えてきた過程には、短い時間で語りつくせないものも多い。それを聞くだけでも若者たちにとっては、衝撃であり、大切な情報であった。

    そのころの記憶がほとんどない中高生たちも、親世代が悩みながら生きていることを感じているが、十分な情報が無く、原発事故についてきちんと向き合うことができていなかったのではないか。

    自分たちの考えだけを懸命に伝えるのではなく、「国や福島県はこう言っているけれど、私たちはこういう理由でこう考える」と、子どもたちが得るさまざまな情報から、考える力を身につけていく手伝いをしていく必要があると感じる。

    「つながる福島」座談会(2021年 12 月開催) 当時子どもだった若者の感想

    • 放射線による被ばくは見えない恐怖と隣り合わせで、なかなか口にも出しづらい地域で生活をしています。しかし、今回のぽかぽかでは、それを話しても許してくれる「安心できる場」がありました。みんな違う苦難に置かれて、みんな違う見解と選択をしてきた(せざるを得なかった)方々でしたが、継続して日々を生活していくにあたっての葛藤や不安を理解してくれる人が大勢いました。さらに、先を歩んできたお母さん方は、私の悩みに対して心がスッキリする助言をくれました。一人ではなかったのだと思い、気持ちが楽になりました。
    • 震災当時のことについて、皆さんとお話しする機会は非常に貴重な時間でした。事故のとらえ方は人によってもちろん違いますし、肯定的な側面もあって当然だと思います。どのような考えも受け入れてくれるような場であったからこそ、聞くことができた語りであったと思いました。原発事故の経験は、個別性が非常に高いことを改めて感じました。
    写真:12月「つながる福島」座談会風景
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