3・11から続く道 – 事故発生から10年、 そしてこれからの10年

    福島の今とエネルギーの未来

    ー 中手聖一(福島から北海道に避難)

      コロナ禍の今、もし対策のリーダーが「感染など気にせず今まで通りの生活をしましょう。 大いに外出してニコニコ暮らしましょう。それが正しく怖がることです」と言ったなら…。けれど現実に同様のことが起こっていたのが原発事故直後の福島県だった。県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一(長崎 大)たちによって、2011年3月20日から始められた安全宣伝キャンペーンである。 

     それまで家族や身近な仲間たちの被ばく低減だけに奔走していた私が、県内の親たちに呼びかけ市民グループを立ち上げて、福島の子どもたちを放射能から守る活動を皆と開始したのはこの安全キャンペーンに対抗するためだった。文科省・子ども20ミリシーベルト通知の撤回、除染、避難と保養、子ども・被災者支援法の制定、山下らの福島から追放など活動は多岐にわたっ た。僅かの成果もあった。そして2012年7月、私は北海道に移住した。 

     福島原発事故発生から10年が経ち、改めて現状を見つめると、本質的に何も解決していないことに、この国が何も変わっていないことに失望(あるいは絶望)しそうになってしまう。放射能汚染を防止すること、事故の解明と収束、被害者救済、健康被害の最小化、反差別など、やらねばならないことは山積してるのにもかか わらず、不都合な課題からは目を逸らし真剣に取り組もうとしない。そして、避難解除と帰還、再稼働、汚染水放出、原発輸出、オリンピックと、復興・経済を錦の御旗のように振りかざし、またもや破滅への道のアクセルを踏み込んでいる。ついには私の新たな故郷の北海道内で、欲望のツケを田舎に押し付ける高レベル廃棄物処 分場の文献調査が始められてしまった。

     しかし、「熱も冷め疲れたようだ。福島事故など誰も忘れ、無かったことのようにできるだろう」とほくそ笑んでいる人たちよ、今度はそうはいかない。確かに10年が経てば、事故や放射能を意識することは少なくなる。暮らしも変わり、それぞれ新たな自分の人生を歩んでいる人たちも増えてきた。それで「忘れた・元に戻った」と思ったら見当違いだ。 

     震災、原発爆発、放射能襲来、防護と避難の葛藤、その中で心に刻んだ思いは 10 年で消えようもない。そして被害は今も続いている。被ばくか貧困かを悩み続けている避難者の仲間がいる、新たな生活の中で原発事故の今を伝えている仲間がいる、裁判で闘っている仲間がいる、真に寄り添って支援を続けている仲間がいる。 それだけではない。福島原発事故を “自分事” と自覚した無数の仲間たちがいる。事故当時は幼児だった青年たちが、自ら意思を持とうと耳 を傾けてくれる。 私は信じている。彼らの意思が集合して、誤った過去を贖罪し、破滅へ向かうこの国を正していくことを。そのビジョンを描いていくのが、 これからの10年になる。人の命は限りがあり、 これからの10年は私には大事な年月のはず。 どう生きるか、何をすべきか、共に考え行動していきたい。

    (『福島の今とエネルギーの未来2021』)

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