女川原発再稼働差止訴訟原告団 事務局長
日野正美
漁業者たちの抵抗
女川原発の予定地が公表されたのは、1967年 3 月。建設予定地の女川町と牡鹿町(2005年4月石巻市と合併)での土地買収交渉は短期間で進められ、1969 年 3 月には地権者との基本協定が締結された。
「原発によって海を壊される」と不安を抱く漁業者らは、女川町の漁業者や住民、隣接する雄勝町(2005 年 4 月石巻市と合併)の漁業者を中心に、牡鹿町も含めて「女川原発設置反対三町期成同盟会」を 69 年 1 月に発足させ、4月には女川町漁協総会で「原発立地反対決議」を採択した。宮城県漁連内にも反対決議を採択する漁協が拡がり、漁業者たちは「漁業権を譲り渡さない」と必死に抵抗した。
女川海岸広場で開催される原発反対総決起集会には、毎回 2,000 名から 3,000 名の漁業者らが参加。漁業補償交渉が一向に進まず、東北電力は、着工と運転予定の延長を何度も余儀なくされた。
宮城県、東北電力は、「漁協の分断と切り崩し」を強行にすすめた。女川漁協の強い反対に対して、親戚を通した個別説得、公共事業や様々な協力費拠出など、金をばら撒く懐柔策で外堀が埋められた。反対集会で、支援者や先頭で闘う青年漁業者が不当逮捕されるなどの弾圧があり、官・民、警察権力が一体となって、反対運動の分断と切り崩しを強行した。こうして、町議会では原発立地請願が採択され、78 年 8 月女川漁協臨時総会では「漁業権放棄」が決定された。1 号機は、1979 年 12 月着工、84 年 6月運転開始に至った。
筆者は、70 年代途中から反対運動に関わってきたが、漁業者が原発反対、賛成に分断され、激しく争い対立し、先祖伝来の地域社会が破壊され、人間関係がズタズタにされていったことを目の当たりにしてきた。
その後、女川の漁業者、町民、石巻市民は、 1981 年 12 月、女川原発建設差止め(後に運 転差止め)訴訟を提起して 2000 年 12 月最高 裁上告棄却まで 20 年の裁判闘争を闘うことになる。
3.11 での被災と反対運動の拡がり
2011 年 3 月 11 日の東日本大震災により、女川は、町の 7 割が被災し、827 名の死者・行方不明者を出した。人口は震災前から 4 割減り、反対運動を担ってきた方々も大地震と津波で命を奪われ、それに続く厳しい仮設住宅での生活で命を落としている。
女川原発は、外部電源がからくも一系統残り、紙一重で最悪の事態を免れた。原子炉建屋の壁には 1130 箇所のひび割れが確認され、建屋上層部の剛性は建設当初から7 割減少したという。 2013 年 12 月、福島第一原発事故による被害 が続いているにもかかわらず、東北電力は、女川原発 2 号機再稼働のための適合性審査申請を行った。2020 年 2 月に原子力規制委員会は、同原発が新規制基準に適合しているとする審査書を公表した。
3.11 以降、宮城県内では、それまで独自に活動してきた反原発、脱原発をめざす市民団体や住民団体が垣根を越えて連携し、新たに脱原発運動に参加した市民とともに取り組むようになった。宮城県議会でも、「脱原発をめざす宮城県議の会」(現在、野党、無所属会派 21 名が参加)が発足して、市民と連携した取り組みが展開されていく。
2018 年には、女川原発の再稼働の是非を問う県民投票を実現するため、条例制定請求運動が全県で展開された。制度上必要とされる署名数をはるかに超える 111,743 筆の署名が集まり、翌年の 19 年 2 月「県民投票条例」の制定が宮城県議会に請求されたが、自公の反対多数で否決された。「再稼働を県民投票で決めよう」という民意は完全に無視されたのである。
避難計画の不備と差し止め訴訟
2019 年 11 月、石巻市民が石巻市と宮城県知事を相手に、「実効性のない避難計画のもとで女川原発を再稼働すれば住民の人格権が侵害される」として「再稼働同意差止め仮処分申立」を仙台地裁に起こした。万が一事故が起こった場合、近隣住民は交通渋滞で 30 ㎞圏外に脱出できず避難所までたどり着けないこと、避難計画が複合災害に対応するものになっていないこと、避難用のバスの確保と手配が出来ないこと、病院の入院患者など要支援者の避難が困難なことなどを理由とした。
しかし、2020 年 10 月仙台高裁は「住民に危険を及ぼすのは東北電力が原発を再稼働することが直接の原因」として抗告棄却を決定した。翌月 11 日、宮城県知事、石巻市長、女川町 長の立地自治体三者は、女川原発再稼働に対する地元同意を表明した。
筆者ら石巻市民は、東北電力を相手取り、2021 年 5 月 28 日、改めて避難計画を焦点にした再稼働差止訴訟を提起した。折しも同年 3月に、水戸地裁が、避難計画に不備がある東海第二原発(茨城県)の再稼働を認めない判決を示した。
被告東北電力は、原告らが「原発の具体的危険性について主張立証していない」として棄却を求め、交通渋滞も起こらないし、避難計画に不備があっても住民に放射線被害が及ぶわけではないなどと反論、全面的に争う姿勢を示した。原子炉の安全対策である「深層防護」の第1層から第4層(原発敷地内防災対策)の評価がどうあれ、第5層(避難計画)の実効性は、独立に評価されなければならないのである。すなわち、避難計画(防災計画)は、災害が「起きたものとして」立案、検討することは当然であり、原告による「原発事故が発生する具体的危険性についての主張立証」は必要ない。
放射性物質の大規模な放出による人的被害防止=「避難計画」に焦点を絞ることで、住民自らが原発事故を「自分事」として捉え、生活者の目線から原発について考えるきっかけにしたい。
小出裕章氏は、「避難計画は、『ふるさと喪失計画』でもある」と語っている。完璧な避難計画があって仮に逃げられたとしても、多くの人々がふるさとを失う。そのことをしっかり受け止め、2022 年度以降の女川原発の再稼働計画を止める判決をもぎ取るために闘い続けたい。