東電福島第一原発事故を振り返る

福島の今とエネルギーの未来

 2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く東電福島第一原発事故から10年が経過した。しかし、まだ事故は継続している。被害は多岐にわたり複雑だ。広範囲にわたる放射能汚染により、自然のめぐみとともにあった 人々の暮らしは失われ、様変わりしてしまった 地域も多い。 

 原発事故は多くのものを奪った。「生業」、「生きがい」、「友人と過ごすかけがえのない時間」、「平穏な日常」…。家族やコミュニティが分断され、健康や人生に対する不安が生じ、「復興」「オリンピック」のかけ声のもとに、放射能汚 染の実態や、健康被害や不安を口にだせない空気が醸成されている。 

ここでは、原発事故当時の状況を、とくに避難政策を中心に振り返る。

事故の進展と避難指示

 原発事故が起こった 2011年3月11日の夜、20時50分に1号機の半径3kmの住民に避難命令が出された。翌12日15時36分、1号炉建屋が水素爆発。同日の18時25分、20km圏内の住民に対して避難指示が出され、14日11時には3号機建屋が水素爆発。3月15日には2号機の格納容器が破損、また4号機が水素爆発を起こした。 

 この日、放射性物質を大量に含んだ放射性雲(プルーム)が広い範囲に流れた。プルームは飯舘村や伊達市、福島市、郡山市の上空を通過し、雨や雪により降下した放射性物質が土に沈着。長く続く汚染をもたらした。 

 各地の放射線量はこれにより急上昇した。原発から60km離れた福島市ではこの日の夕方、最大で毎時24マイクロシーベルトが観測され た。これは、福島原発事故後に新設された原子力規制委員会が策定した「原子力災害対策指針」で、「一週間以内に一時移転を実施」とされるレベル(毎時20マイクロシーベルト)を上回 るレベルだ。

 にもかかわらず、福島市、伊達市、二本松市、 郡山市といった福島県中通り地域に避難指示が出されることはなかった。 

 4月22日、政府は、20km圏内を「警戒区域」に、おおよそ30km圏内を「緊急時避難準備区域」に、飯舘村、川俣町の一部、南相馬市の一部、葛尾村など年間20ミリシーベルトに達する可能性のある地域を「計画的避難区域」に指定した。 

年20ミリシーベルト撤回を求めて

20 ミリシーベルト基準の撤回を求める市民たち

 3月下旬から4月上旬には、福島市の父母たちが線量計を使って学校の測定を行い、大半の学校の校庭が放射線管理区域以上の値を示していることを明らかにした。放射線管理区域とは、原発や病院の施設・研究所など、訓練された職業人しか立ち入りが許されない区域である。 

 父母らは始業式を遅らせることを要求したが、これは聞き入れられず始業式が実施された。その後、学校の利用目安として年20ミリシーベルトが文部科学省から各教育委員会に通知された。 

 年20ミリシーベルトは、公衆の被ばく限度として国際的に勧告されている年1ミリシーベルトの20倍であり、また放射線管理区域の年5ミリシーベルトをはるかに上回る。このことから、社会的な批判の声が高まった。5月23日、怒った父母たちや市民らが文部科学省を取り囲み、年20ミリシーベルト基準の撤回を迫った。メディアがこれを大きく報道し、世論が高まった結果、文部科学省は、「長期的には 1ミリシーベルトを目指す」と通知を出した。

「避難の権利」確立を求めて

 子どもや家族を守るため、賠償も支援もなく避難を決断した区域外避難者は少なくない。中には、経済的事情、仕事、家族の事情のため、 避難したくても避難できない人もいた(図)。 FoE Japan は避難指示区域外からの避難者(いわゆる自主避難者)の賠償を求め、各地で、「避 難の権利」を求める集会を開催した。また、避難者の声を集め、政府の審議会に届けた(下記)。また福島での汚染状況調査やアンケート調査を実施した(図)。 


図 避難を妨げている理由は?

 これらの運動が実り、避難者の審議会での発言が実現した。避難者を援護する世論の高まりを背景にして、2011年12月、区域外避難者の「避難の合理性」が認められ、限定的かつ少額ではあるが、賠償が実現した。 

 また、福島市内のとりわけ線量が高かった地域の住民とともに、調査や学習会を行い、避難を選択した人に賠償を認める区域として「選択的避難区域」の設定を求め、政府に働きかけたが、実現しなかった。

 これらの運動が実り、避難者の審議会での発言が実現した。避難者を援護する世論の高まりを背景にして、2011年12月、区域外避難者の「避難の合理性」が認められ、限定的かつ少額ではあるが、賠償が実現した。

 また、とりわけ線量が高かった地区の住民とともに、「選択的避難区域」(避難を選択した人に賠償を認める区域)の設定を求め、政府に働きかけたが、実現しなかった。

避難者たちの声より 

・小さな山を一つ越えると、避難区域です。 そんな場所に小さい子どもを住ませることはできません。親として子どもを守るのは当然です。避難したくて、避難して いるわけではありません。どれほど悩んで避難したか。また災害が起こる可能性、 何かあった時子どもを守れるかどうかなど、本当に悩みぬき避難しました。 
・どうか私たち「自主避難者」と呼ばれる者が、断腸の思いで選んだやり方を、愛 する人たちを守る正当な方法であることを理解して下さい。私たちは福島を捨てたのではありません。守るべき人を守りたいだけです。
・線量が高い。家の中で1μSv/時を越えます。そんな環境に子どもを住まわせていいのかと不安です。

(『福島の今とエネルギーの未来2021』)

タイトルとURLをコピーしました