知らせない、考えさせない――“減思力” の教訓

    福島の今とエネルギーの未来

    福島大学 共生システム理工学類 准教授
    後藤 忍

    1.はじめに

    日本政府による原子力・放射線に関する公的な教育・広報の内容は、国策である原発推進に偏った内容となっていました。いわゆる「原発の安全神話」も、偏った教育・広報によって広められていました。2011 年 3 月に起きた東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)の事故で教訓とすべき点の一つは、いわば “減思力(げんしりょく)” を防ぐことです。“減思力” は、原子力発電の環境リスク等に ついて偏った教育・広報がなされてきたことで、国民の公正な判断力が低下させられてきたことを教訓として表す造語です。筆者のオリジナルではなく、福島第一原発の事故のあと 2011年3 ~ 5 月頃に、インターネット上から次々に削除されていく原子力に関する公的な教材や資料、原子力ポスターコンクールの入賞作品などの、いわゆる「不都合な真実」に関する情報を、不公平性を示す証拠として保存する作業をしていたときに、匿名掲示板で偶然見かけた単語です。匿名だったため単語の出典は明記できませんが、原子力・放射線に関する教育・広報における不公平性の問題を端的に表すことができる単語と考えて、それ以降使わせてもらっています。筆者らが、2012年に独自の放射線副読本1を発行した際も、サブタイトルのなかで使用しました。

    福島第一原発の事故から 10 年以上が経過しましたが、原子力・放射線に関する公的な教育・広報では、残念ながら “減思力” の問題は続いています。福島第一原発事故を直接知らない世代も増えてきたなかで、子ども達を始めとする人々に重要な事実や教訓を知らせない、考えさせない “減思力” の教育・広報が今でも継続して行われています。偏った内容の証拠となるような教材や資料も、既に回収されたりして目にする機会が少なくなってきています。

    「目の前から消されたものにこそ、真に学ぶべき教訓がある」⸺これは、筆者の自戒の念を込めた認識や、取り組みを表すフレーズです。これまで筆者は、福島第一原発事故の前後から日本の国の省庁が発行してきた原子力・放射線に関する副読本を中心に、内容の公平性に関する批判的分析や批判力(批判的思考力)の育成についての考察などを行ってきました2,3,4。本稿では、福島第一原発事故の教訓の一つとして、改めて “減思力” の教訓を取り上げ、原子力・放射線に関する教育・広報の事例を記録して特徴を指摘するとともに、“減思力” の教訓について広く伝えていくことを目的とした取り組みについて紹介したいと思います。

    2.教科書の公平性に関する検定基準

    教育における情報の公平性について、厳密に定義することには困難さが伴いますが、少なくとも公教育において、扱う情報の公平性を確保することは必要とされていると言えます。実際、日本の教育基本法の第 14 条「政治教育」や第15 条「宗教教育」では、偏ってはならない旨が書かれています。また、学校教育法に基づく教科書検定制度に関する「義務教育諸学校教科用図書検定基準」では、第 2 章「教科共通の条件」の 2「選択・扱い及び構成・排列」において、 6つの項目のうち、「選択・扱いの公正」として次のように 2 項目が記述されています。

    (選択・扱いの公正)
    (5) 話題や題材の選択及び扱いは、児童又は生徒が学習内容を理解する上に支障を生ずるおそれがないよう、特定の事項、事象、分野などに偏ることなく、全体として調和がとれていること。
    (6) 図書の内容に、児童又は生徒が学習内容を理解する上に支障を生ずるおそれがないよう、特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと。

    これらの記述を踏まえれば、特定の事項などに偏っていたり、特別に強調していたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりすれば、不公平(不公正)な状態と言えるでしょう。
    後述するような、文部科学省が発行してきた原子力・放射線に関する副読本(2010 年版は経済産業省資源エネルギー庁と共同)は、教科書ではないので、教科書検定基準を満たさなければならない法的根拠はありません。しかし、教科書検定を行う文部科学省が発行するものであり、実際、教科書検定を担当している教科調査官も編集担当に加わっています。そのような副教材であれば、検定基準を満たすような公正性(公平性)の確保が求められるべきでしょう。

    3.日本の原子力・放射線に関する副読本の特徴

    福島第一原発事故の前、2010 年 2 月に文部科学省と経済産業省資源エネルギー庁が発行した原子力副読本では、「(原発は)大きな地震や津波にも耐えられるよう設計されている」(p.30)などと、原子力の安全性を強調する記述がありました(図 1)。これは、福島原発事故後に「事実と異なる記述がある」などの理由から 2011 年 5 月に回収されました。第二次世界大戦後の、いわゆる「墨塗り教科書」のように、不都合な真実が不可視化されました。

    図 1 2010 年版の原子力副読本における虚偽の説明の例
    出典:文部科学省・経済産業省資源エネルギー庁 (2010)「チャレンジ!原子力ワールド」、p.30、一部加筆

    その後、2011 年 10 月に文部科学省は放射線に内容を絞った副読本を発行しました。以降、 2014 年 2 月、2018 年 9 月、2021 年 10 月 に 改訂版を発行しました。改訂版の副読本が出るたびに、筆者を含む教員や市民から多くの批判が起こりました。そのような批判を受けて、 2014 年版副読本では不公平性がかなり改善されましたが、2018 年版副読本では残念ながら筆者が指摘していた問題点はまったく改善されず、2014 年版副読本で追加された重要な情報が削除されるなど、むしろ改悪されました。 2018 年版副読本の主な特徴として、筆者は、1)広域的な汚染地図や「汚染」の単語、国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル 7 など福島第一原発事故の深刻さを示す情報が削除されるなどの「原発事故の過小評価(副読本紙面の除染)」、2) 放射線の日常性や利用性を示す情報が復活し、被ばくによる健康影響に関する楽観的な見方の情報が追加されるなどの「『放射線被ばくの安全神話』の流布」、3) いじめ問題に関する資料や復興の様子を表す情報の追加による「いじめ問題・復興への焦点ずらし」の 3点を指摘しました5

    4.文部科学省の2021 年版放射線副読本の特徴

    2021 年 10 月に文部科学省が発行した放射線副読本(小学生用、中高生用)は、基本的な構成や記述は2018 年版副読本を踏襲しており、筆者の指摘した問題点は改善されていません。また、過去の改訂と比べて変化は小さくなっています。そのなかで、最も大きな変化は、「福島第一原子力発電所の事故について」(p.12)における記述で、「廃炉に向けた課題」が追記されたことです。公平性の観点から、この記述における特徴の指摘を示します。

    1点目は、廃炉に関する様々な課題のうち、汚染水の処理水放出の問題に焦点が当てられているという「焦点ずらし」です。廃炉には、他にも様々な課題があります。例えば、廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議 (2019) の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ6では、主な具体的対策として「汚染水対策」、「使用済み燃料プールからの燃料取り出し」、「燃料デブリ取り出し」、「廃棄物対策」を挙げています。にもかかわらず、2021 年版副読本では、「廃炉に向けた課題」と明記したうえで、内容を汚染水の処理水放出に絞っています。なお、参考までに 2014 年版副読本では、廃炉に向けた課題について、「福島第一原子力発電所の廃止に向けて、原子炉からの核燃料の取り出しや汚染水の問題、作業要員の確保及び作業環境の改善などの課題があり、今後もそれらの解決に向けた努力が必要となっています」(p.3)と書かれており、少なくとも 4 点の課題が挙げられていました。この点からも、「焦点ずらし」を指摘できます。 2 点目は、処理水の扱いについて放出するこ とが既定となっており、他の代替案や、処理水の放出に反対する意見を取り上げていないという「他の代替案や意見の不可視化」です。処理水の扱いについて、原子力市民委員会の声明 (2020)7 やFoE Japan の声明(2021)8 で提案されているような「大型タンク貯留案」や「モルタル固化処分案」等の現実的な代替案は紹介されていません。また、処理水に反対する決議を全会一致で採択した全国漁業協同組合連合会や福島県漁業組合連合会、JA 福島中央会、福島県森林組合連合会、福島県生活協同組合連合会などの反対意見も紹介されていません。このような当事者の立場になって考えることについて、2021年版副読本の「はじめに」(p.1)には、「一人一人が事故を他人事とせず」と書かれています。当事者性を意識させて「自分事」として捉えることを促す重要な記述だといえますが、汚染水の処理水放出の問題という具体的な場面では、一番影響を受ける当事者である漁業従事者などの声を載せず、「他人事」として捉えることを助長するものとなっており、矛盾を指摘できます。

    関連して 3 点目は、汚染水の問題に関する「根本的な要因の不可視化」です。汚染水が増加する根本原因である地下水流入の阻止が不完全であること、タンク貯留水の約 7 割でトリチウム以外の放射性核種が基準値超えとなっていること、敷地内でのタンクの増設がこれ以上困難とする根本理由となっている 30 ~ 40 年の廃炉工程が非現実的であることなどについては説明されていません。

    2021 年版副読本は、既に子ども達に配布されており、その際には、復興庁作成の「ALPS処理水について知ってほしい 3 つのこと」と経済産業省資源エネルギー庁作成の「復興のあと押しはまず知ることから」のチラシが一緒に送付されたことがわかっています。政府側の主張のみを伝える偏った教育・広報が強化されているのが現状です。

    5.“減思力” の教訓を学ぶためのパネル展の開催

    福島第一原発事故の教訓の一つである “減思力” の教訓を記録し、広く伝えるために、筆者は研究室の学生とともに、原子力・放射線教育の主な教材等の特徴を紹介するパネル展を開催しました。

    パネル展名は、「“減思力” の教訓を学ぶためのパネル展~東京電力福島第一原子力発電所事故前後の原子力・放射線教材等の記録~」としました。パネルは A1 サイズ、計 23 枚で構成しました。パネルの他に、閲覧用として副読本等のコピーを展示しました。

    図2 作成したパネルの例。偏りが明確な箇所は 解説を布で隠し、来場者に思考してもらう工夫を した(3 つの解説例のうち、左の解説の布をめくっ た状態)。

    パネルの作り方として、副読本等の記載内容において事実として指摘できる記述の誤りや明確な偏りが見られる部分を取り上げ、当該部分の画像を掲載し、その周りに吹き出し形式で指摘内容を書くようにしました。また、工夫点として、教材の内容の偏りが分かりやすい部分には、解説を布で隠して来場者にめくってもらうようにしました(図 2)。これは、“減思力” の教訓を重視して、来場者に思考する経験をしてもらうこと、また、パネルに変化をつけて来場者に飽きさせないようにすることを意図しました。

    パネル展は、福島県の中通り地方と浜通り地方の 1 か所ずつで実施しました。開催期間は、福島会場が 2021年12月3~5日、いわき会場が12月10 ~12日。福島会場は来場者数86名、アンケート回収数36票、 いわき会場は来場者数75名、アンケート回収数40票でした。訪れた理由は、「原子力・放射線教育に興味があったから」が最も多く 5 ~ 6 割程度でした。「他の目的で施設に来たらたまたまやっていたから」は2~3割程度でした。パネル展の感想(5 段階評価)は、2 会場の合計で「面白かった」が最も多く 75%で、「やや面白かった」を合わせると95%を占めました。「あまり面白くなかった」と「面白くなかった」を選択した方はおらず、来場者には面白いと思っていただくことができました。「面白かった理由」について、2 会場ともに「“減思力” の教訓に共感し、伝えていきたいと思ったから」が最も多く、2 会場の合計で約 75%を占めました。パネル展の目的について来場者に理解していただけたことを示す結果となりました。

    パネル展を訪れたり、開催を知ったりした方からは、光栄なことに、いくつかの学校や他の地域で、パネル展を開催したいとのお申し出をいただきました。“減思力” の教訓を一人でも多くの人に伝えていくため、今後実現していきたいと考えています。

    6.おわりに

    本稿では、今も続いている “減思力” の問題の実態と、それに抗うためのささやかな取り組みについて紹介しました。「焦点ずらし」や「不可視化」によって、多様な視点で議論する芽を摘み、異論を封じて、政府の公式見解を一方的に伝える副読本は、福島第一原発事故前に原発の安全性について偏った内容を一方的に伝えていた副読本と、本質的に変わっていません。それは、教科書検定基準も満たさず、「一人一人が事故を他人事とせず」の記述とも矛盾するものです。

    “減思力” の教訓について学び、「知る、考える」力を育んでいくことの大切さに共感していただければ幸いです。

    図3 「“減思力” の教訓を学ぶためのパネル展」の様子(左:福島会場、右:いわき会場)

    1. 福島大学放射線副読本研究会(2012)「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本~ “減思力” を防ぎ、判断力・批判力を育むために~(改訂版)」(次のURL より自由に閲覧、ダウンロードできます)、https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/index.htm
    2. 後藤忍 (2015)「原発教育において情報の公平性は確保されているか⸺人々の判断力・批判力を育む教育実践と ESD としての課題」、阿部治編『原発事故を子どもたちにどう伝えるか⸺ESD を通じた学び』、合同出版、 pp.85-106.
    3. 後藤忍 (2020「) 福島第一原子力発電所の事故後に発行された文部科学省の放射線副読本の内容分析」、『環境教育』、 Vol.30-1、pp.19-28.
    4. 後藤忍 (2021)「原発事故をどう伝えるか~文部科学省放射線副読本の課題~」、『はらっぱ』、公益社団法人子ども情報研究センター、No.397、pp.23-29.
    5. 後藤忍(2019)「紙面が“除染”された「放射線副読本」-削除された「汚染」「子どもの被ばく感受性」「LNT モデル」」、 『科学』、Vol.89、No.6、pp.0521-0537.
    6. 廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議 (2019)「東京電力ホールディングス ( 株 ) 福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」、https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20191227.pdf
    7. 原子力市民委員会「政府は福島第一原発 ALPS 処理汚染水を海洋放出してはならない。汚染水は陸上で長期にわたる責任ある管理・処分を行うべきである」(2020 年 10 月)
    8. FoE Japan「声明:処理汚染水の海洋放出決定に抗議する」(2021 年 4 月)
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