福島からの声 – 菅野みずえさん

福島の今とエネルギーの未来

福島第一原発事故から9年たちました。事故による痛みや苦しみ、事故により失われたもの、事故により負わされたもの、それでも立ち上がろうとする人たち…。 ここでは、元酪農家で飯舘村に帰還した長谷川健一さん、二本松市で有機農業に取り組む菅野正寿さん、浪江町から関西に避難した菅野みずえさん、いったん避難し帰還した福島のお母さんの声をダイジェストでご紹介します。なお、インタビュー(10分程度の映像)は、FoE Japanのウェブサイトにて順次公開予定です。
1. 長谷川健一さん(飯舘村村民) 聞き手:武藤類子さん(三春町在住)
2. 菅野正寿さん(二本松在住、有機農家)
3. 菅野みずえさん(浪江町から関西へ避難) 聞き手:武藤類子さん(三春町在住)
4. 福島在住のお母さん

菅野みずえさん(浪江町から関西へ避難)聞き手:武藤類子さん(三春町在住)


菅野(かんの)みずえさん:自宅は事故を起こした東電福一から27km。帰還困難区域となり、浪江町から関西へ避難。畑を耕しながら暮らす。「事故を黙らない。それが67歳の私にできる原発を許した世代の責任の取り方だと思っています」と原発事故当時について各地で講演している。


武藤類子さん: 2003年、原発から遠い暮らしを提案する里山喫茶「燦(きらら)」を開店するも、福島原発事故で閉店。2012年東電旧経営陣の責任を問う「福島原発告訴団」を設立し、刑事告訴を行う。2015年原発事故被害者団体連絡会を設立。

「ここは危ない、頼む、逃げてくれ」

菅野さん 原発事故後、勤め先の大熊町からようやくの思いで浪江町津島の自宅に帰りつきました。そして12日の夕方、3時から4時くらいだったんだと思います。見たこともないガスマスクしてる人がいるんですね。そんなマスクした人がなんか叫ぶんです。聞こえないって言ったら、「ここは危ない、頼む逃げてくれ」って言ったんです。

15日の朝、6時からの炊き出しに息子が出て、8時に戻ってきて、10時に全町避難だって。「ここはあとにする、だからお前はお父さんがいる大阪に行け」ってみんなに言われたって。耕運機のガソリン抜いて、軽自動車に入れて、逃げたんです、犬の居場所を作って。郡山まで逃げたんですね。体育館で、スクリーニングを受けました。3時間並んで、雪が降り出したんです。爆発したって聞いた時から犬は一切外に出さなかったんですが、犬は人が好きで、大勢の人が来るの嬉しくて。すぐ逃げ出すんですね。だから、犬を測ってほしいって言ったんですけど、犬は測らないって言われて。

振り切れた針

私の頭と上着を測ったら、測定器がパタンと振り切れて、その時はわからなかったですが、今から思うと10万cpm超えてたんですね。「上着は没収」って言われた。すごく厚いビニール袋がすでに用意してあって、「ここに入れて置くので、車の1番隅に置いて、1週間以上たって洗え」って言われたんです。上着を脱いで、もう一度中のセーターとジーパンの上を測ったら8のところで止まった。だから大丈夫だって言われた。8万cpm、って後からわかったんですよね。息子のズボンもそうでした。裾の方はもっと高かったような気がします。その状態のまま、車に乗って避難したわけです。

ガソリンどこも入れてもらえなくて。長野へ向かって逃げれば岐阜へいけるから、とにかく長野を目指せって。息子と狭い車内で喧嘩しました。「俺は逃げたくなかったのに。どっちみちどこへ行っても、暮らしていけないんだったら、津島へ戻るんだ」って。私は「そんなことはさせねえ」って言って。私は途中で「だったら私は歩いてこの犬だけ助けるんだ」って犬と歩き始めたんです。1時間くらいしたら息子が追いかけてきて、だまってドア開けて。一緒に夜中交代で運転しながら、朝があけたのは軽井沢で。6時だったんですね。そこで、ガソリンスタンドのシャッターが開くのが見えたんです。で、入れてもらえないか聞いたら、「満タンか」って言われて、信じられなかったんですね。「満タン入れていいんですか」って聞き返しました。なんかすごい嬉しくてね。

で、高速に入って最初のパーキングで、大手のコ―ヒーチェーン店があって、そこで普通にコーヒー売ってるんですね。その日ラテを飲んだのを覚えてます。飲み始めたたらもう、涙が溢れて止まんないわけなんですよ。「ここはなんで普通の日常があるの。私たち明日が見えないのに、ここには普通の暮らしがあるの」って…。私は故障してるんだって思った。汚染は姉のところで洗った。靴はそのまんま。夫のところに行って衣類洗って靴も洗ったわけなんですよ。どれくらいの汚染をそこに落としたのかを思うとね。いや、申し訳ないって。

武藤類子さん すごい物語だね。色々重なる想いも。私も夫と大喧嘩しながら一旦避難して戻ってきた。

結局さ、やっぱり個人に負わされるものってすごくいっぱいあるじゃない。原発事故、自分のせいで起きたわけではないのに。ものすごいものを私たちは背負わなければならなかった。避難するって、人が場所を移るって、人生そのものを置いていかなきゃいけないことっていっぱいあったよね。

菅野さんの動画はこちら

(「福島の今とエネルギーの未来2020」)

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