3・11から続く道 – 意識変革の10年 社会が変わることを 望むより、自分が変わること

    福島の今とエネルギーの未来

    -宍戸慈(北海道子育て世代会議共同代表/女性のためのライフスタイル活動家)

     気づけば 10 年、あっという間でした。福島県郡山市で、地域誌の編集者とコミュニティ FM のパーソナリティをしていた 2011 年 3 月、 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きました。決死の覚悟で、ラジオ局で寝ずに生放送をしました。避難所の取材などで、原発近くから避難してきた人への差別を目撃しました。

     原発や放射能の問題と向き合ったとき、「い つか元気な赤ちゃんを産みたい」という気持ちが溢れてきました。放射能について勉強すれば するほど、「ここにはいられない」という思いが強くなり、単身北海道に移住しました。独身者での「自主避難」には、経済的なサポートも 精神的な支えもありませんでした。とても心細 かったのを、今も鮮明に覚えています。それでも、「一人ひとりが自分の未来を選択することでしか、新しい世界はつくれない」と考え、自分に言い聞かせていました。

     その後結婚し、無事に出産もして、二児の母となりました。大好きな故郷・福島のような、 自然豊かな環境を求め、札幌から車で3時間半ほどの小さな田舎町、島牧村(しままきむら) に居を構えました。大自然の中で、子どもたちを遊ばせながら仲間とお米を育てたり、古い家を直したりして穏やかに暮らしていました。

     激震が走ったのは去年、2020 年の夏の出来事です。私が暮らす島牧村のお隣、寿都町(すっ つちょう)が高レベル放射性廃棄物の最終処分場受け入れのための文献調査に応募しました。 頭では「原発や放射能の問題は、地球上にいる限り、生きている限り逃れられる問題ではない」 と分かっていたつもりでした。それでも、福島の原発事故から時間が経ち、日々の穏やかな暮らしの中で、少しずつ原発や放射能への意識が 薄れつつあったと思います。そこに「やっぱり逃れられない」という現実を突きつけられた思いでした。

     大急ぎで、地元の仲間たちと「北海道子育て 世代会議」を立ち上げました。コンセプトは、「分断ではなく、調和。対立ではなく、対話。正誤ではなく、選択。持続可能な社会を未来ある子どもたちへ」としました。要望書や公開質問状を通して町長との対話を試みましたが、対話はすれ違いのままで、私たちの願いは聞き入れら れず、寿都町は放射性廃棄物受け入れのための 文献調査に正式に応募しました。私たちにとっては、納得のいかない結果でした。

     でも、私たちは諦めません。風に立ち向かっていくのも、それを追い風にして未来への力に変えるのも、私たち次第だと信じています。否定や反発ではなく、新しい選択を示すことで持続可能な社会をつくりたいと考えています。そんな想いで、2020年11月、すべてを自 然エネルギーで運営する音楽イベント「寿都自然エネルギーフェス・風を感じて」を開催しました。名だたるアーティストが集まり、北海道 の小さな町、寿都町から世界に配信しました。 YouTube の再生回数は約 7,000 回、およそ 50 万円の寄付が集まりました。

     10 年で何が変わったでしょうか? 法律や原発の数など、ハードはあまり変わっていないかもしれません。でも、私の意識は確実に変わりました。人々の意識も変わりつつあるという実感もあります。きっと、核エネルギーの問題は私たちが死ぬまで続いていくでしょう。しか し、私は世界と日本はこれから愛と平和のエネ ルギーへとシフトしていくと確信しています。

     この 10 年の時は私に「社会が変わることを望むより、自分が変わることが重要であること」 を教えてくれました。ノーではなく、イエスを積み重ねていこうと考えるようになり、望む世界は自分たちで作っていこうと決意させてくれました。未来を作るのは、私たち一人一人の小 さな選択です。ともに、選択していきたいと思 います、原子力に頼ることのない、これからの暮らしを。

    暮らしと未来を共にする仲間たちと

    (『福島の今とエネルギーの未来2021』)

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