避難指示の解除と帰還

福島の今とエネルギーの未来

 東電福島第一原発事故の直後、政府は同心円状に避難指示を拡大し、事故翌日の 2011年3月12日夕方には20km圏内に避難指示を出した。同年4月22日、政府は、年間積算線量が20ミリシーベルトになることが予想される飯舘村などの地域を「計画的避難区域」に指定。 また、同年6月および12月、福島県伊達市霊山町や南相馬市原町区など、世帯ごとに「特定避難勧奨地点」を指定した。しかし、年20ミリシーベルトは、公衆の被ばく限度を年1ミリシーベルトとした国際勧告の20倍、また医療従事者や原発作業員など訓練された職業人のみが立ち入ることができる放射線管理区域の基準 (年間約5ミリシーベルト)を大きく上回る値であったため、強い批判の声があがった。 避難指示区域は2014年以降、次々に解除さ れていった。政府は、①年間20ミリシーベルトを下回ることが確実であること、②インフラなどの復旧、③県、市町村、住民との十分な協議--を解除の要件としたが、住民との協議が十分なされたとは到底言えない。 

避難指示区域の解除 

 2017年3月31日および4月1日、川俣町山木屋地区、富岡町、浪江町、飯舘村の避難指示解除準備区域、居住制限区域が解除となり、2019年4月に大熊町の避難指示解除準備区域、居住制限区域が解除となった。事故直後に11市町村約8万1千人に出されていた避難指示は、対象区域の7割以上が解除となった。2020年3月には帰還困難区域の常磐線双葉駅(双葉町)、大野駅(大熊町)、夜ノ森駅(富岡町)の周辺が解除された。 

 しかし、相次いで避難指示が解除されても、帰還はなかなか進まないのが現状だ。若い世代が帰還せず、高齢者の1~2人世帯が点在する地域が多くなっている。

失われたふるさとの形 

避難指示区域の解除前に、復興庁や関連自治体が避難区域の住民を対象に実施した、帰還に関する意向調査によれば、自治体によるばらつきもあるが、避難区域内の多くの住民が「戻らない」と回答している。たとえば、双葉町で は「戻らないと決めている」と回答した住民は62.1%で、「戻りたいと考えている(将来的な希望も含む)」と回答している住民10.8%を大きく上回った。また、年代別でみると 30 歳代に加え、70歳代において、「戻らないと決めている」と回答した割合が高くなっている。 

 2017年4月1日に居住制限区域と避難指示が解除された富岡町の場合、避難指示を解除してから3年近く経過した2020年12月、富岡町の解除地域の居住率は約13%。転入者も含まれているので実際の帰還率はそれ以下だ。高齢者がぽつんぽつんと住み、あとは作業員や東電・関連企業関係者が暮らす。 

 「近所では次々に家が取り壊されている。もともとのコミュニティの形は跡形もない。これが本当に “復興” なのか」と富岡町に帰還した91歳の男性は語る 1。 

 政府は、2021年度、原発の周辺12市町村へ移住する人に最大200万円の支援金を出す方針を固めた2。避難者への支援は容赦なく打ち切り、被ばく防護政策はうやむやのまま、金にものをいわせて、人の移住を無理に促進して「復興のカタチ」を演出するともとれる方針だ。 

 避難指示区域の設定、再編、解除の方針は、 実際は経済産業省が決めている。原発推進を 行ってきたいわば「加害者」が、「被害者」の生活を大きく左右する方針を決めたことにな る。避難指示や解除といった方針に、住民の意向を反映するための枠組みが必要である。

「避難指示解除は違法!」 ~国を訴えた南相馬の住民たち 

 2014年12月、政府は、福島県南相馬市原町区など避難指示に準じるとして世帯 ごとに指定された避難勧奨地点について、 年間20ミリシーベルトを下回ることが確実になったとしてすべて解除し、その後、 支援や賠償を打ち切りました。説明会では、 反対が相次いだのですが、そうした声は無視されてしまいました。 

 2015年4月、南相馬市の住民808名が、 解除は違法として国を相手取り提訴をしました。FoE Japanでは、「支援の会」を立ち上げ、原告の支援を継続しています。

注釈1:2018年2月および2019年2月に実施した聴き取りによる。 
注釈2:読売新聞オンライン「福島に家族で移住なら200万円支給…原発周辺12市町村対象に支援金」(2020年12月13日)

(『福島の今とエネルギーの未来2021』)

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