チェルノブイリ原発事故後に原発の危険性を認識し、脱原発運動に参加するようになった大賀さん。福島第2原発の事故などもあり、福島に通ううち、福島のすばらしさにほれこんで、移住を決意。「原発がなければ、いや、原発があってもなんていいところなんだろう」と思ったそうです。農業を学び、友人の建築士に依頼し、阿武隈山地の木材をつかったこだわりの家を建てました。その家に入居する直前にあの事故が起こったのです。2013年末、新潟県に避難した大賀さんは「もう最初の春がすごい幸せで、もう見るもの、触れるもの、全てが大丈夫なんだ」と感じたそうです。それだけ、原発事故後の生活は苦しいものでした。2020年3月に大熊町の一部で避難解除されましたが…。ぜひ、大賀さんの話をおききください。