【寄稿】どう伝える?原発事故の教訓

    福島の今とエネルギーの未来

    ー 後藤忍(福島大学准教授)

    はじめに
     2011年3月に起きた東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故(以降、福島第一原発事故)からまもなく10年になります。福島県内では、東日本大震災・福島第一原発事故の事実と教訓を伝えようとする様々な取り組みがあります。公的な教材を使用した学校教育や、メモリアル博物館としての展示施設の整備、市民による語り部活動や記録集の作成などがあり、主な事例の特徴や課題については後藤 (2018)1 でも指摘しました。その後も、2018年3月には復興庁から「放射線のホント」が、同年9月に文部科学省から「放射線副読本」の改訂版が発行されました。2020年9月には福島県が「東日本大震災・原子力災害伝承館」を双葉町にオープンさせました。公的な教材や展示施設の役割は大きく、福島第一原発事故の事実と教訓に関する情報がしっかりと記録・継承されることが望ましい一方で、現段階では、残念ながらそのような情報が十分に記述されてい るとは言えません。 

     教訓について、水俣病の問題解決に尽力された原田正純先生が「教訓とは失敗したことを発信すること」だと仰っていました。福島第一原発事故に関する公的な教材や展示施設では、それができていません。むしろ重要な教訓や失敗が消し去られていっている状況です。「見えない化」、「不可視化」です。 

     一方、市民のなかには、FoE Japanのように、 政府などが進める「不可視化」に抗い、被害や教訓を「見える化」しようとする動きもあります。市民側から、公的な教材や展示施設に対して改善を働きかけたり、福島第一原発事故に関する事実・教訓を記録し継承する活動は重要であると言えます。 

     福島第一原発の廃炉作業はまだ緒に就いたばかりですし、原発事故の被害は現在も続いています。福島第一原発事故に関する記憶の風化を促すものとして懸念された、東京オリンピック・ パラリンピックは、新型コロナウイルス感染症の世界的流行(パンデミック)により、延期となりました。福島第一原発事故から 10 年とな る今、改めて、「どう伝える? 原発事故の教訓」 という問いについて考えてみたいと思います。 

     本稿では、2020年9月にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」の展示内容の特徴を筆者なりに指摘した上で、福島第一原発事故の事実と教訓のうち、どのようなものが洩れ落ちているのか、それを伝えていくためにはどうすればよいのかについて、筆者の考えを述 べたいと思います。 

    「東日本大震災・原子力災害伝承館」の 概要
     東日本大震災・原子力災害伝承館(以下、伝承館)は福島県が双葉町に整備した施設で、費用の約53憶円は、国の予算で賄われています。 東京オリンピックに合わせ 2020年夏のオープ ンを予定していましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年9月に延期され ました。福島イノベーション・コースト構想の 一環として整備され、運営も公益財団法人福島 イノベーション・コースト構想推進機構が担っています。 

     教訓を伝える施設が、復興を主目的とする構想のもとに整備されるのは、出発点がおかしいように思います。その位置づけでは、「原発事故を真摯に反省して教訓を記録・継承する」というよりも、「原発事故からどう立ち上がったか」という、ある意味サクセス・ストーリーを 伝える「復興寄り」の展示になってしまうから です。 

     初代館長には長崎大学の高村昇氏が就任しま した。高村氏の館長就任には、専門分野や放射線被ばくによる健康影響に関する立場などの観 点から批判もあります 2。 

     伝承館の基本理念として、原子力災害と復興の記録や教訓の「未来への継承・世界との共有」、福島にしかない原子力災害の経験や教訓を生かす「防災・減災」、福島に心を寄せる人々や団 体と連携し、地域コミュニティや文化・伝統の 再生、復興を担う人材の育成等による「復興の 加速化への寄与」の 3 つを掲げています。1つ目の、原子力災害と復興の記録や教訓の「未来 への継承・世界との共有」は、本稿のテーマからも重要な点ですが、教訓が展示においてどの程度記録・継承されているか、検証が求められます。そして、3つ目の「復興の加速化への寄与」 には、復興が明示的に位置づけられていることを確認できます。 

    展示の構成は、「プロローグ(導入シアター)」、「災害の始まり」、「原子力発電所事故直後の対応」、「県民の想い」、「長期化する原子力災害の影響」、「復興への挑戦」の大きく6 つとなっています。原発事故以降の内容は明示的に入っていますが、事故前に福島県が原発の推進に関わってきた経緯や責任についての説明は十分なものとはなっていません。 

     そもそも、福島県は、新潟県と異なり、原発事故に関する独自の検証委員会を設置していません。そのため、原発事故の原因や教訓の総括ができていないことから、教訓も発信できない、という構図を指摘できます。また、独自の検証委員会がないとしても、ある程度オーソライズされている政府事故調や国会事故調の報告書などの論拠を参照すれば、教訓を拾えるはずですが、展示からはそのような真摯な反省的考察は感じられません。 

    具体的な展示の特徴 
    伝承館には、約170点の実物展示資料や、 説明パネル、映像展示などがあります。ここでは、伝承館の具体的な展示物の特徴を例示します。 

    (1)福島県が実施してきた原子力広報・教育の事例に関する展示 
     反省的考察という点では、福島県が福島第一 原発事故前に原発を推進してきた経緯についても記録し、展示することが求められます。この点について、伝承館には、いくつかの実物展示が見られます。福島県の原子力広報誌である「アトムふくしま」や、文部科学省と経済産業省資 源エネルギー庁が共同で開催していた「原子力 ポスターコンクール」の入賞作品などです。このような実物展示が実現したのは望ましいと思います。

     ただし、例えば「アトムふくしま」で実際に原発の安全性についてどのような広報をしていたのか、安全神話を広めていなかったのか、といった反省的考察に基づく説明はありません。行政計画としても、事故前の福島県の総合計画で「地域振興の手段として原発を位置づけてい た」と読みとれる文章があり、事故後に慌てて 2011 年度に一部、2012 年度に全体を改定したという経緯もありましたが、そのような展示はありません。 

    (2)元の地盤高、原発の敷地高、津波の高さ に関する展示 
     「元の地盤高、原発の敷地高、津波の高さ」 に関する展示も、筆者がこれまで繰り返し必要性を指摘してきた点です。元の地盤を大きく削って原発の敷地高を低くしたこと、津波の高さ予測が甘かったことが大きな教訓と考えるからです。しかし、伝承館には福島第一原発の模型展示はありますが、建設の経緯や高さを説明 する展示はありません。 

     もともと 30m を超える海岸段丘だったところを、20m 以上削って、海面から 10m の敷地 に原発を建てました。そこに高さ13~15m程度の津波が来たので、原発は耐えられませんでした。また、裁判で争われているように、東京電力の子会社は2008年に15.7mの津波の予測をしていたことが分かっていますし、福島県の2007年の予測は5mだったなど、事実として指摘できる高さの数字がいろいろあります。判決が確定していなくても、これらの高さは事実として展示にできることです。福島第一原発事故の教訓を国内外で役立ててもらうなら、このような情報も展示することが必要と考えます。 

    (3)「原子力推進看板」の展示 
     福島第一原発事故前の、原子力に対する認識を如実に物語る、「原子力明るい未来のエネ ルギー」との標語が書かれた大型看板(幅約16m、高さ約7m)が双葉町にありました。標語の提案者である大沼勇治さん(当時、小学校6年生)などが、教訓を伝える象徴的なものとして、看板の実物を伝承館に展示するように働きかけてきました。しかし、福島県は「看板が大き過ぎる」といった理由で積極的には検 討せず、伝承館では実物ではなく大型写真グラ フィックで掲出されました。

     その後、2021年1月になって、実物を展示する方針に変更されました。市民などからの要請を反映して、原子力推進看板の実物を展示する方針を決めたのは良かったと思います。ただし、アーカイブ施設自身の取り組みの記録として考えれば、展示の検討の経緯も検証および記録されるべきと考えます。本来ならば、建物の設計段階から実物の展示を真摯に検討すべきでした。そうしていれば、より効果的な設置方法や建物のデザインにも反映可能だったはずです。例えば、アウシュヴィッツ 強制収容所の「Arbeit macht frei」3の看板のように、原発推進看板を入口側に設置することも可能であったと考えられます。原子力推進看板は、1階のテラスで展示される方針とのことですが、伝承館の展示エリアは(将来の)津波の被害を避けるため 2階に配置されたことを踏まえて考えると、後づけ感が否めません。 


    「原子力明るい未来のエネルギー」 大沼勇治さん提供

    (4)緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク システム(SPEEDI)に関する展示 
    SPEEDI について、説明パネルが設置されたことはよかったと思います。しかし、福島県がSPEEDIの情報をeメールで得ていながら、 実際に避難に活用しなかったことについての説明は十分ではありません。一方、2014 年に 原子力規制員会が示した、「緊急時における避 難や一次移転等の防護措置の判断にあたって、 SPEEDIによる計算結果は使用しないとの見解を示しました」といった説明については、かな りの行数を使って記述しています。 

    (5)安定ヨウ素剤の展示 
     安定ヨウ素剤について、実物が展示されたことはよかったと思います。ただし、その説明が不十分です。安定ヨウ素剤に関する大きな教訓は、政府事故調と国会事故調の報告書が共に指摘している通り、福島県から「適切な配布や服用の指示がなされなかった」という点です。にもかかわらず、説明文は「大気中の放射性ヨウ素濃度の条件により服用します。甲状腺への放射性ヨウ素の影響を低減する効果があります。」 と、まるで他人ごとのような記述のみとなっています。原発事故当時どう使われたのか、どの ように失敗したのかということは、情報としてまったく記録されていません。これはとても象徴的な例だと思います。 

    (6)震災関連死の展示 
     福島県での震災関連死は直接死よりも多く なっています。伝承館では、震災関連死について、2,286人という数字の記載はありますが、 「どのような亡くなり方をされたのか」という 不条理の死についての説明はありません。この点、例えばウクライナ国立チェルノブイリ博物館では、福島第一原発事故を扱った展示スペースで、震災関連死のご遺族が遺影を持って仏壇の前に座っている写真が展示されています。そういった展示が、ウクライナのチェルノブイリ博物館まで行けば見られますが、福島県では伝承館でも福島県環境創造センター交流棟「コ ミュタン福島」でも見ることができないというのはなぜなのでしょうか。 

     市民の力で整備した、白河市にある原発災害情報センターには、自殺された方が壁にチョー クで書き残した、有名な「原発さえなければ」 という言葉が書かれた壁の実物があります。反省的考察を促すには、そういった不条理の「人の死」の実情を伝える展示が求められると思います。 


    「原発さえなければ」と記された壁(2016 年 11 月原発災害情報センターにて筆者撮影)

    今後どのように原発事故の教訓を 伝えるか 

    (1)伝承館の展示の改善 
     今後、伝承館の展示を改善していくには、原発事故の教訓、つまり「失敗したこと」や「不都合な真実」についての説明パネルや実物の展示を増やしていくべきであると考えます。国会事故調や政府事故調の報告書など、ある程度オーソライズされた報告書からも教訓について参照できますし、本来であれば、新潟県のように、独自の検証委員会を設置して福島県の教訓を導き出し、展示に反映すべきと言えます。 

     伝承館の担当者の方は、「来館者に震災と原発事故を『自分ごと化』してほしい」旨を説明していますが、原発事故の教訓について、当事者である県が「自分ごと化」できていないように感じられます。範を示す意味でも、福島県が自らの責任を「自分ごと化」して反省し、記録・ 展示することが必要と考えます。 

     水俣病に関する水俣市立水俣病資料館には、 市長の謝罪の言葉がかなり大きく展示されています。「水俣病で犠牲になられた方々に対し、充分な対策を取り得なかったことを、誠に申し訳なく思います」などの言葉です。このような、 真摯な反省的考察に関する展示をすることにより、長期的に見て、人々からの信頼を得ることができると思います。  

     また、「幅がある事象」に関する展示では、 最悪のことには触れるべき、説明すべきだと考えます。それは、人の場合であれば「死」ですし、原発事故については「想定しうる最悪の事態」です。福島第一原発事故では放射性物質が太平洋側に 8 割くらい流れていったのでこの程度の汚染で済んだという「不幸中の幸い」だった側面もありますし、当時の原子力委員会の近藤駿介氏が「最悪で3000万人を避難させなければいけない」というシナリオを出していたことなど、事実として展示できることはあります。人の死や最悪の事態について説明することで、「二度と原発事故を起こしてはならない」 とのメッセージを来館者に伝えることができるでしょう。これは、原発事故に関するメモリアル博物館に求められる最も重要な役割と言えます。 

    (2)市民ができること 
     市民には、原発事故の教訓の「不可視化」に抗い、「見える化」していく役割が期待されます。 公的な施設や教材の役割は大きいので、少しでもよいものにするための働きかけが求められま す。今はまだ、福島第一原発事故をリアルタイムに経験して、いろんな教訓を認識している人が多くいます。でも、歴史がくだれば「知らない人」も増えていきます。原発事故の重要な教 訓を漏れ落とさずに将来にわたって伝えていくためにも、政府や自治体などに働きかけるとともに、実現できないものについては、自分たち の手で記録・継承していくことが求められます。 

     その際、ドイツなどで広がっている「記憶の文化」から学ぶべき点は多いと思います。ドイ ツでも、戦後しばらくは沈黙の時代がありましたが、ホロコーストの事実と向き合い、記録していく動きが広がりました。日本の場合、被害 に向き合わない、責任を取らない、「忘却の文化」 が続いています。「忘却の文化」から「記憶の文化」への転換を、市民の力で実現していきましょう。

    注釈:
    1. 後藤忍 (2018)「福島の教訓をどう伝えるか」『世界』第 906 号 , 135-143
    2. 後藤忍・筒井哲郎「原発事故の教訓と被災者へのいたわりとは ―福島に新設される「伝承館」について―」(原子力市民委員会ブログ) http://blog.ccnejapan.com/?p=1032
    3. 「働けば自由になる」⸺ナチス政権がユダヤ人を収容する強制収容所の門に書いたスローガンとして知られる。

    (『福島の今とエネルギーの未来2021』)

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